2012年5月アーカイブ
corgiville (2012年5月31日 12:00)
当ミュージアム第2展示室は「ロッキングチェアーと大統領」というカテゴリーにしてあります。ロッキングチェアーに腰掛けたケネディのアイテムを集めました。
背骨に疾患のあったケネディは1954年の脊椎手術の後、主治医に背骨の痛みを軽減するためにロッキングチェアーの利用を進められ、以後、大統領になってもロッキングチェアーに座って記者団のインタビューに答える写真が残っているほど、ロッキングチェアーはトレードマークのひとつになった感さえあります。
第2展示室にアップしたオルゴール付きの人形は、現在もネットオークションなどで比較的高い値で取引されているようですが、こういったコレクティブル物は箱が残っていることで価値がアップします。
私は状態のよい箱付きを所有しています。さらにケネディが読んでいる新聞も残っているのでよい状態のものを手に入れたといえるでしょう。
corgiville (2012年5月30日 02:33)
ロンドン在住の娘からケネディ大統領とのツーショットが送られてきました。
もちろん、本物のわけはなく、世界的に有名な蝋人形館「マダム・タッソー」に展示されている蝋人形になったケネディです。ケネディが生き返ってきたみたいにそっくりですね。
corgiville (2012年5月29日 12:56)
きのう紹介したジャッキーの乗馬シーンだけの写真集にあった写真をモチーフに私が作った刺繍があります。タイトルは「ヌード・ライディング」。これは、鞍を装着しないで直接馬の背にまたがって乗馬をするおとで、ある程度の技量を必要とします。
若き日のジャッキーがどこかの牧草地で白い馬を引いたり、直接跨ったりしている姿がとても素敵でした。
corgiville (2012年5月28日 08:51)
母ジャネットの影響でほんとうに幼い頃に乗馬を始め、それが生涯を通じての趣味となったジャッキー。彼女はかなり熟達した乗り手であり、ファーストレディ時代も大統領夫人としての義務をジョンソン副大統領夫人に押し付けて、別荘のあるグレン・オーラで乗馬を楽しんだことが伝えられています。
そんなジャッキーの乗馬シーンだけを集めた写真集も出ています。
彼女の乗馬に対する情熱が伝わってきてとても楽しい写真集です。
corgiville (2012年5月27日 06:15)
JFKの葬儀の後、ジャッキーは別荘のあるハイアニスポートでジヤーナリストのテディ・ホワイトと会っています。彼は『ライフ』誌にケネディ暗殺について寄稿することになっていたため、ジャッキーに話を聞きにきたのです。
精根尽き果て青白い顔をしたジャッキーは、暗殺の背後にある政治的要因にはまったく関心を持ちませんでした。夫の生涯を語るには政治思想や政治理論でなく、神話や魔法、伝説や武勇伝にたとえるほうがピッタリだと主張しました。
ケネディ大統領は生前、ブロードウェイ・ミュージカルの「キャメロット」のレコードが好きでよく聴いていて、その歌詞の一節、
♪忘れてしまわないで、 むかしあるところに、 キャメロットと呼ばれる、 つかの間の輝かしき時代があったことを
が彼の生涯そのままだと言い、ホワイトが書く記事に望んだのは、ケネディ政権をキャメロットにたとえるということだけだったそうです。
ホワイトは、彼女の歴史観が正しいか否かより、暗殺事件をこのようなロマンティックな話に仕立てるジャッキーの能力にいたく敬服したそうです。
ケネディ政権時代がアメリカの歴史のなかの魔法の一時「キャメロット」と後々呼ばれるようになった背景には、ジャッキーのこんな切なる思いがあったのでした。
── 参考文献 デビット・ハイマン 「ジャッキーという名の女」
corgiville (2012年5月26日 07:27)
ケネディ夫妻のツーショットアイテムがテーマの「第12展示室」に展示している「ピクチヤーカード」は、ケネディ大統領の少年時代からの42枚の写真をカードにしたもので、裏に説明文が書かれています。
ケネディとジャッキーのツーショットだけでなく、たくさんのシーンが盛り込まれた楽しいカードです。その中の1枚でとても印象的なツーショットがあります。
ケネディと一緒に写る女性はジャッキーではなく、モナコのグレース王妃です。1961年5月24日にホワイトハウスを公式訪問したときの写真ですが、何かを指差して語るケネディ大統領の横顔を、華やかな帽子を被った美しいグレース王妃がじっとみつめています。
グレース王妃といえば、ハリウッド女優から、モナコのレーニエ大公に見初められて王妃になったジャッキー以上のシンデレラストーリーの主人公です。
しかし、このピクチャーカードの彼女のじっとケネディをみつめる甘やかなまなざし──一瞬だけ、立場を忘れてアメリカの若い大統領に恋しているように見えます。
corgiville (2012年5月25日 11:24)
私が読んでよかったケネディ関係の本の紹介です。
「JFKの寝室」(クリストファー・アンダーソン・著 戸根由紀恵・訳 徳間書店)夫と妻、男と女という観点から書かれた二人の物語で、訳者あとがきの中のケネディ夫妻に対する視点に私も同感するところがろがありました。
私は先に洋書の方を購入しました。
原書は「Jack and Jackie ─Portrait of American Marrige」というタイトルです。
corgiville (2012年5月24日 12:18)
ケネディ大統領は9人兄弟の二番目次男でした。ジャッキーと結婚した時点で兄のジョーと二番目の妹キャサリンはすでに亡くなっており、障害を持つ妹ローズマリーは生涯独身でしたが、1950年のロバートから1958年の末弟エドワードまで6人の兄弟が次々に結婚し、これまた次々に子どもが生まれました。
ケネディ家の女性たちは、みな「軽々と」子どもを産みました。その中で、ジャッキーは、1954年の流産、1956年の死産となかなか無事に子どもを授かることができず、どんどん子どもを生んでいく義妹たちの中でそれが最大の劣等感となった時期があったようです。
妹のリーに「自分は子どもが産めないかもしれない」とまで告白しています。その一方で毎年のように子どもを生むロバートの妻エセルのことは、「赤ん坊製造機よ。ネジを巻くと妊娠するの」と陰口を言ったりしています。
子どもができないことでよほど気持ちが屈折していたのでしょう。
しかし、1957年に無事キャロラインを出産し、夫が大統領に選出された直後の1960年11月にはジョン・ジュニアも生まれて一気に幸せムードに包まれます。本当に絵に描いたようなファーストファミリーでした。
corgiville (2012年5月23日 05:42)
ジャッキーがファーストレディだったのは、1961年から1963年の短い期間でしたが、彼女のファッションは全米、全世界の女性の憧憬を集めました。
専属デザイナーだったオレグ・カッシーニは、グラマーではなくすらっとした彼女の体型を生かしてまず、清潔感を第一に洋服のデザインを考えたといいます。大きなくるみボタン、七分袖や短めの上着など、スーツスタイルにはどこか可愛らしさが取り入れられ、パーティードレスは直線的なラインを強調したものが主流のように思います。
たぶん、同じドレスを違う女性がマネして着ても彼女のようには着こなせなかったに違いありません。ジャッキーの誰にもない個性があったからこそ、流行を広めることができたのでしょう。ジャッキーはいつも、「オリジナルが着たい」という希望をオレグに伝えていました。
時を同じくしてマテル社からバービー人形が発売され、大ブレイクしました。バービーは本体とたくさんの着せ替え服、靴、バック、サングラスなどの小物が精巧に作られてそれがまたおませな女の子たちを虜にしたのです。
改めてバービー人形のワードローブを写真で見ると、ジャッキーのファッションのテイストによく似ている気がします。
60年代のファッションリーダーだった二人(?)を刺繍とアップリケで描いてみました。
corgiville (2012年5月22日 11:52)
コレクションの中で好きなもののひとつが第4展示室にアップしているブレスレットです。
チェーンにケネディ大統領、ジャクリーン夫人、ジョン ジュニア、キャロラインのチャームが
ついていて、幸せの絶頂だった頃のケネディファミリーがまぶしく感じられます。
corgiville (2012年5月21日 11:32)
今朝の金環日蝕ですが、私は日蝕具グラスをせっぱつまってから買いに行ったので近くの店はすべて売り切れという状態で、何とグラスなしで見ました。もちろん、凝視しないようにさっと見てさっと目を逸らしましたが‥‥
写真を撮りましたが、環の状態のものは取れませんでした。周りが暗くなって太陽が光っている写真になってしまいました。
ケネディ大統領は宇宙への夢を描いた大統領でした。
1961年5月15日ケネディは、「1960年代中に月への有人飛行を実現する」と宣言、月飛行計画が発表されました。
1969年に人類月面着陸が、彼の宣言通りに実現されたとき、ケネディはもうこの世にはいませんでした。
corgiville (2012年5月20日 11:34)
ジャッキーの遺言書も本になっています。
本文は旧式のタイプライターで打った書体で、ジャッキーのサインがありますが、その日付は1994年3月22日。彼女が亡くなるまさに2ヶ月前です。
のちに遺言書のお手本と評された彼女の遺言書には、二人の子ども、晩年のパートナーだったモーリス・テンペルズマン、親族、友人、使用人にいたるまで彼女が彼らに遺していく金品の指示が及んでいました。
天地と小口の部分に金箔の施された美しい装丁の本ですが、彼女の死亡診断書も掲載されており、ジャッキーという人は死んだ後までもそのプライバシーを追いかけられる宿命の持ち主だということを痛いほど感じずにはいられません。
corgiville (2012年5月19日 21:11)
昨夜は東京八重洲で「JFK倶楽部」の親睦会があり、ジャッキーの命日ということで、会員でない私もお誘いいただきました。
JFK倶楽部はケネディ大統領を愛する人たちの会で、年に何回か勉強会を開いたり、ケネディの終焉の地であるダラスへのツアーを企画したりとユニークな活動を続けておられます。
たまたま、会員のお一人が私のサイトを見てメールをくださったのがおつきあいの始まりでした。
ケネディのことをまったく知らない人でもJFK倶楽部のサイトをみるとその人物、歴史的背景をひととおり知ることができると思います。
corgiville (2012年5月19日 13:13)
1994年5月19日、ジャクリーン・ケネディ・オナシスは64歳でこの世を去りました。
前年暮れにしつこい咳がとまらず、受診した結果、ホジキンリンパ腫に犯されていることが判明しました。その後、入院治療をしたものの、もう治る手立てがないことがわかると彼女は一切の治療を拒否し、ニューヨークの自宅に戻り、最期は、パートナーのモーリス・テンンペルズマン、二人の子どものキャロライン、JFKジュニアに看取られて昇天したそうです。
もう18年たってしまったのだなあという思いとそれだけの歳月がたっても、ジャッキーは永遠なんだという
思いが交差する一日でした。
corgiville (2012年5月18日 11:31)
ジャッキーは子どもの頃から物を書くことが好きで、詩や物語や手作りの絵本をしたためた。
大統領夫人時代はメモ魔で、ホワイトハウスのスタッフへメモで指示を出していた。筆まめで、何かをもらったり恩を受けるとすぐに礼状を出すことを忘れなかった。
彼女が10歳頃に書いた「Sea Joy──海の喜び」と題する詩である。
砂浜に下りていくと
もうほしいものなんて何も思いつかない
まわりを飛び交うカモメのように
轟きわたる葵い海のそばで暮らすことのほかには
潮が退くとわたしは駆けまわれる
風と砂と海水にまみれて
カモメは大きく輪をかいて魚めがけて飛び込む
ああ─海のそばで暮らすのがたった一つの望み
corgiville (2012年5月17日 12:07)
ジャッキーの実父ジョン・ヴェルヌー・ブービエ三世、通称ブラック・ジャックはたいへん魅力的な男だったようです。
背が高く筋肉質、黒いつややかな紙と口ひげのエキゾチックな風貌で一年中日焼けで浅黒い顔をしていました。仕事はニューヨークの株式仲買人でした。
ジャッキーと同じく間隔の離れた目をしていたこの父は、またたいへんな女好きで女性にももてたようです。金遣いの荒い男でもありました。
彼は16歳年下のほっそりしたブルネット美人のジャネットと結婚し、1929年にジャッキーが生まれたのです。しかし、同年10月にウォール街で株が大暴落。その頃から、少しずつ歯車が狂い出し、やがてジャネットとの間も亀裂が生じるようになりました。
試験的な別居を経て、ジヤックとジャネットは1941年に正式に離婚。ジャッキーと妹のリーは母に引き取られました。
金銭面・生活面、女性関係ではルーズなところがあるブラック・ジャックでしたが、二人の娘のことは溺愛していました。ジャッキーも、この色気のある父親が大好きでした。離婚後も、父親と娘たちは定期的に会っていて、ブラック・ジャックは羽振りがよくないのに見栄を張って娘たちに贈り物を買い与えたりしました。
ジャッキーの男性観の原型は父ブラック・ジャックだといっても過言ではありません。最初の夫ジョン・ケネディは12歳年上、二度目の夫オナシスは23歳年上で、彼女はいつも自分を少女のように扱ってくれる年長の男性に惹かれました。
また、ファーストレディ時代、夫とともに外遊すると、各国のかなり高齢の元首たちを魅了するのがお得意だったようです。
フランスのド・ゴール大統領、旧ソ連のフルシチョフ首相、インドのネルー首相、そして、日本の池田勇人首相まで訪米した際、紋付袴姿で、ジャッキーの横で満面の笑みを浮かべた写真が残っています。おじさんキラーだったことはまちがいありません。
ケネディもブラック・ジャックに似て、いつも女性を追っかけていましたが、夫の浮気はジャッキーにとって大した問題ではなかったようです。
corgiville (2012年5月16日 05:56)
このサイトに公開しているコレクションは、ネットオークションやネットショッピングが一般的になる前に足で集めたものが中心です。もちろん、yahooやsekaimonで落札したものもありますが、私としては、ネットでいろいろなものが手に入るようになってから、収集したい情熱が醒めてきたように感じています。
いまから15年ぐらい前までは渋谷にアメリカンアンティークを扱うお店が何軒かありました。
私がケネディのアイテムをコレクションするきっかけになった紙製のお面をみつけたのが渋谷並木橋の「TIME MACHINE」でした。ここで、金色の銅像やピクチャーカードなどいくつか購入しましたが、このお店は今はもう閉店してしまったようです。
キラー通りの「KEEP LEFT」は現在は錦糸町に移転しています。パルコとか地方のデパートなどにもときどき出店しているようです。
渋谷郵便局本局に近い「オキドキ」では一番たくさんのものを購入しました。当時そこに勤めていた追分さんという女性から、新しい「ケネディモノ」が入荷すると必ず電話がかかってくるのです。聞いてしまえば見に行きたくなる、行けば買いたくなる、だからお金に余裕がないときは電話がかかると困る‥‥という葛藤が少しあったのを覚えています。
15年ほど前に、「古着中心の店にリニューアルするので、残っているケネディのものを買い取りませんか?」と言われ、すでにひとつ持っていた大統領就任メダルなどを含めて、「いままでたくさん買ってくださったから」と、かなり安く譲ってもらうことができました。
東京の骨董市にもマメに通いましたが、乃木神社の市で外国人の業者からお皿とフラッシャーが買えたのみで、ほかでは何の収穫もありませんでした。
ボストンのJFKライブラリーへも2回行きましたが、今はオンライン・ストアでも購入できるようになっています。
ある雑誌で画家の横尾忠則氏が、「収集することは、集めたものよりも収集する行為そのものに意味があると思っている」と言っておられましたが、私もそう考えます。ひとつのテーマにこだわることによって派生してくる出来事や知識が人生をより豊かにしてくれたと思っています。
ただ、先にも言ったようにネットで何でも手に入るようになり、シャカリキに収集するのはもういいかなと感じ、2006年にホームページに纏めてみました。
私は刺繍をやっているので、次は刺繍のモチーフでジャッキーやケネディをと思い取り掛かっておりそちらは現在進行形です。
corgiville (2012年5月15日 05:49)
ケネディ大統領の暗殺の翌年1964年にロバート・ギルロイがデザインしたケネディの50セント硬貨が発行されました。
1964年のものは銀が90%ですが、1965年以降のは銀40%を含む合金で製造されているそうです。
数あるケネディ大統領のメダルの肖像な中でも、ロバート・ギルロイによるコインの肖像は、シャープでとてもよい横顔になっています。そのせいか、この50セントコインをモチーフにしたケネディグッズがたくさん作られています。
ライター、ペンダント、栓抜き、カフスボタン、バックルなどに埋め込まれたものをよく見かけますし、コイン自体を着色したり加工して新たなデザインのトークンにしたりもされているようです。
現在、アメリカではケネディに限らず、50セント硬貨そのものがあまり流通しておらず、もっぱらコレクター用になっている傾向があります。
私ももちろんかなりの量を持っていますが、下の写真はフランクリン・ミントのケース入りコレクションで1964年から1984年までの20枚が収まっています。
計算が合わない? それなら21枚のはず‥と思う方もおられるでしょう。1975年~1976年に製造されたコインは一括されてコイン上の年号も「1976-1976」と記されているので、合計で20枚になります。
corgiville (2012年5月14日 11:14)
セレブ女性にはパパラッチと呼ばれる追っかけカメラマンが付き物のようです。
ダイアナ妃がパリで事故死したのもパパラッチの車とカーチェイスを繰り広げた結果だったと言われています。
ジャッキーを追い回すパパラッチも当然ながらいました。オナシスと再婚してからの彼女をしつこく追い回したロン・ギャレラという男です。
最終的にジャッキーから訴えられ、ジャッキーには50メートル以上、彼女の子どもたちには70メートル以上、また彼女の家からは100メートル以上近づいてはいけないとの判決がくだされました。
そのパパラッチ、ロン・ギャレラの書いた本が「ジャッキーへの追走」(北神仁 訳 勁文社 )です。
ジャッキー関連の本としては異色の一冊だと思いますが、現在はamazonでも買うことができません。私の所有している本もボロボロになってしまいました。
ロン・ギャレラはスコルピオス島でバカンス中のジャッキーを追っかけ、ジャッキーが水着を脱いで全裸になった写真まで撮っています。このジャッキーのヌード写真は当時、世界中の話題をさらいました。
ちなみにこの本の訳者北神仁は作家高橋三千綱氏のもうひとつのペンネームです。
corgiville (2012年5月12日 23:34)
ケネディ大統領の絵葉書も未使用・使用済みを含めてかなり収集しました。
その中の1枚でセピアカラーでケネディの横向きの笑顔と一篇の詩が印刷されたものがあり、Nellie Ruskowski という人によって書かれた詩がシンプルだけど大好きです。。
春の息吹
あなたは、窓辺にやさしくふきわたる爽やかな春風のように私たちのもとへやってきた。
そして私たちの心の中に喜びをもたらしていった。嵐の後の虹がかかったように空は晴れ渡った。
あなたの幸せな笑顔の中で陽の光が踊った。あなたの言葉で私たちの心は温かくなりもう決して冷えることはなくなった。
私たちの心の中に、私たちの記憶の中にあなたは住み続ける。決して、私たちのもとから消え去らない、春の雨が降って地球をもっと心地よい場所にするように。
神のご加護がありますように。いつまでも変わらないあなたと「春の息吹」への感謝を。
corgiville (2012年5月12日 00:06)
日本語に翻訳されたジャッキーの本で、彼女の人生が順を追って分かりやすく興味深く書かれている本が、C・デビッド ハイマン著「ジャッキーという名の女」(上・下 広瀬順弘 訳 読売新聞社 1990年)とキティ・ケリー著「ジャッキー oh!」(岡本浜江 訳 メディアリサーチセンター 1980年)かと思います。
伝記や評伝というのは、どんなに綿密な取材・調査が行なわれていたとしても、あくまでも作者の視点を通した人物像に過ぎません。また、取材に応じた関係者の主観は人によって大きな差があるものです。
そのことを踏まえて読んでも、この2冊は、ジャッキーと彼女をめぐる人たちの生身に触れたかのような読後感の残る本でした。
どちらも彼女の存命中に書かれたものですので、当然ですが物語りは途中で終わっています。
ジャッキーを嫌う人はムキになって、彼女の性格の欠点や「お金のための再婚」を非難しますが、誰にでもみな欠点があるし、欲望もある‥‥すべてひっくるめての人間像だから胸を打つのだと感じます。 「ジャッキー、oh!」の方はかなり古書の部類に入ったためかamazonでも高値になっているようです。
corgiville (2012年5月11日 11:50)
ケネディ大統領のお墓がワシントンのアーリントン墓地にあることはあまりに有名で訪れたことのある方も多いことと思います。
1963年にケネディが埋葬された際に、妻ジャクリーンの手で墓石の背後に「永遠の炎」が灯されました。
1994年にジャッキーが亡くなって、アーリントン墓地のケネディの墓の隣に葬られたとき、違和感を抱いた人も少なくなかったようです。
ジャッキーはケネディの死後、オナシスと再婚しており、そのオナシスとも死別しているとはいえ、確かに不自然なことかもしれません。
ジャッキーが最初の夫ケネディの傍らに埋葬されたことについての私の気持ちを代弁してくれるような一文に偶然にも出会いました。
1995年8月に宝塚雪組公演で「JFK」が上演されたとき、私も見に行ったのですが、そのときのパンフレットに書かれた作・演出の小池修一郎氏の文章の中です。
‥‥昨年、ジャクリーヌ・ケネディ・オナシスが亡くなったとき、アーリントン墓地に埋葬されたのを知って、大変驚いた。遺族の希望によるものだろうが、それにも増して、米国民が彼女をその後の有為転変にも拘らず、故大統領の側に眠らせたがった。挫折したロマンスを30年後に衆意が完成させたのだ。それほど人々の夢とノスタルジーを掻き立てる「あの二人」「あの頃」への興味が、私自身の幼い記憶を超えて膨張していった。‥‥
私がアーリントン墓地を訪れたとき、さらに感慨深かったのは、ケネディ夫妻の墓石の両端にある一回り小さな墓石でした。
ひとつは1956年8月にジャッキーが死産した女児アナベラのもの、もうひとつは大統領の暗殺の3ヶ月前に生後3日で亡くなった次男パトリックのものです。
ジャッキーとケネディの結婚生活はわずか10年。その間、夫は大統領の激務にあり、キャロラインとジョン Jr.の二人の子どもと共に普通の家族らしく過ごした時間も少なかったといえるでしょう。
仲良く4つ並んだ墓石は、まるで生前あまりできなっかった家族だんらんを「永遠の炎」のもとで楽しんでいるかのように見えたのでした。
corgiville (2012年5月10日 12:13)
ジャクリーン・ケネディ・オナシスが亡くなったのは1994年5月19日。
賢明な彼女は二人の子どもたちに遺品をオークションにかけてその収益で相続税をまかなうように遺言していたといいます。
1996年4月23日から26日にかけて、ニューヨークのサザビーズでジャッキーの遺品のオークションが開催された。1195点の遺品が出品されたが、その内容たるや錚々たるものでした。
サザビーズ・ジャパンでオークションのカタログが購入できると知り、麹町にあるオフィスまで買いに行った。カタログは二種類あって高価な上製本の方を買ったのですが、そのカタログに掲載された品々はジャッキーの生きてきた歴史そのものだと感じました。
日常使いの食器、身につけていたアクセサリー、家具、収集していた絵画、JFKに関する書籍や残したメモ、彼女の愛車のBMWにいたるまでくいいるように見入っていきました。
オークションにニューヨークまで出かけることは当時できなかったのですが、書面入札ができるとのことで、恐れ多くも2つに品物の書面入札をしたのです。
私が入札したのはケネディとジャッキーの結婚式の引き出物だった銀のトレイとジャッキー愛用の乗馬の鞍です。
結果は‥‥
もちろん落札はできませんでした。
私の入札価格は、トレイが500ドル、鞍が550ドル
落札価格はトレイ27,600ドル、鞍34,500ドル
かすりもしなかった(赤面)
そのときのジャッキーの遺品オークションはサザビーズ史上でも稀にみる売上げを残したそうです。
corgiville (2012年5月 9日 05:18)
第12展示室に「ケネディ夫妻のツーショットアイテム」に展示品を2点追加しました。
ひとつはジャックとジャッキーの漫画チックなお面のセットです。
もう一点が、私が作ったマスクアートです。何年か前に耳鼻科の待合室で読んだ医療関係の小冊子で「マスクアート」というものを知りました。
風邪や花粉症でマスクをするときに、どうせなら楽しくということで、市販のマスクに自由にデコレーションする手芸です。
私も作ってみようと思い立ち、ケネディとジャッキーのパロディ1ドル札をモチーフにリボンやビーズで飾りつけしました。
「第12展示室」をご覧ください。
corgiville (2012年5月 8日 11:22)
私が読んだジャッキーの本の中から、何とも切ない気持ちになった部分を抜粋します。
洋書の「Jacqueline Kennedy Onasiss A Portrait in Her Own Words」と翻訳本「ケネディ家の女たち」の両方に出てくる言葉というか彼女の述懐です。
And sometimes I think that times heals things ‥‥and you forget certain things‥‥I mean , I can't remember Jack's voice exactly anymore‥‥but I still can't stand to look at pictures of him and I don't have any around here exept children's rooms‥‥and I came back everything just hit me, because this house was the only house where we really lived , where we had two children,where every little pickle jar I had found in some little country lane on the Cape‥‥and nothing's changed since we were in it‥‥and all of the memories came before my eyes.
時は悲しみを癒す香油だった。もはやジョン・Fの口調のリズムさえもはっきり思い出せなくなっていた。しかし年月が経ったいまもジョン・Fの写真には目を向けられなかった。ハイアニスポートの家は思い出の宝庫だった。本当の意味で夫婦の家と呼べるただ一軒の家であり、すべてに亡き夫の匂いがしみついていた。ピクルスの瓶一つからでも、ジャクリーンがそれを海沿いの小さな店で買い求めた日、ジョン・Fがまだ生きていた頃の記憶がよみがえった。
corgiville (2012年5月 7日 10:38)
私が持っているケネディ関係の本の中からユニークなものをご紹介します。
切り抜いて遊ぶ紙の着せ替え人形セットで、ジャッキーだけのものと大統領、娘のキャロライン、息子のジョン・ジュニアを含めた家族全員のものがあります。
私はもちろん、切り抜いていません。
それにしても着せ替えになる大統領一家って他にいるのでしょうか?
絵本として見ているだけでも、決して古くなっていない60年代のファーストファミリーのワードローブを存分に楽しむことができます。
アマゾンで購入可能です。
corgiville (2012年5月 6日 10:25)
当ミュージアムのミュージアム・ショップをオープンしました。
といっても、アマゾンのケネディ関係の書籍・写真集のリンクにすぎませんが。
でも、改めて、51年も前に就任した大統領とファーストレディについての本が選定に困るぐらい出版されていることにびっくりします。
今回は洋書のみでしたが、日本の本も出していくつもりです。
corgiville (2012年5月 5日 11:20)
ジャッキーの写真集は、数え切れないほど出版されており、私が持っているのはそのほんの一部です。
「A Thousand Days of Magic」は、ファーストレディ時代の専属デザイナーだったオレグ・カッシーニがデザインしたドレスのデザイン画とそれを美しく纏ったジャッキーの写真を満載した本です。
ケネディ政権に「文化の香り」をもたらしたと言われるジャッキーですが、ファッションでの貢献度の大きさも、他のファーストレディの比ではないことを証明しています。
corgiville (2012年5月 4日 13:14)
ケネディ大統領を知るための場所として筆頭にあげられるのがボストンにある「JFK Library」でしょう。
私は2度訪れていますが、ケネディ大統領に関する展示や大統領選挙の活気を彷彿とするキャンペーングッズなどを心ゆくまで見学することができます。
ミュージアム・ストアではケネディやジャッキー、弟のロバートやエドワードに関する書籍やDVD、グッズを購入することができます。
オンラインショップもあるので、興味のある方は一度訪問されてはいかがでしょうか。
corgiville (2012年5月 3日 04:35)
「Corgiville Museum」のロゴはジャッキーの横顔です。
私が持っているペンダントをもとに次男がデザインしてくれたものです。ガラスに彫られたカメオのような横顔がとても気に入っています。
このペンダント、展示室にはアップしていません。
corgiville (2012年5月 2日 04:28)
2006年6月にオープンしたウェブサイト「Corgiville Museum』ですが、このたび完全リニューアルする運びとなりました。
今後、ケネディ大統領やジャクリーン夫人のコレクションや、オリジナル作品などを新しい形で公開していこうと思っていますので、よろしくお願いいたします。