2012年8月アーカイブ
corgiville (2012年8月28日 02:14)
この2,3年断続的に手がけていた「刺繍で綴るジャクリーン・ケネディの一生」が完成し、撮影もカメラマンの方にお願いしました。
当ミュージアムの常設展ではなく企画展としてアップしようとアップアップしているところです。
ジャッキーのドラマチックな64年の生涯には、「名シーン」がありすぎて、限られた数を選ぶのは至難の業でしたし、手刺繍は小さな作品でもとても時間がかかります。ですので、今回は19点だけ作成しましたが、当然、続編もありと考えています。
先行して2シーンだけ公開します。
corgiville (2012年8月24日 00:57)
デザインとして面白い写真集が「THE KENNEDYS」(ASSOULINE)でしょう。
ケネディ家のポートレイトを数多く手がけたJACQUES LOWEによる写真のいわば抜粋なので、「JFK」、「JACKIE」の80ページの2冊に収められた写真は、たいてい他の写真集で見たことがあるものばかりです。 でもこの2冊がひとつのペアとして本体とはまったくテイストの異なるポップな化粧箱に入っているのです。当ミュージアムでは「第12展示室」─ケネディ夫妻の2ショットアイテムに展示してます。 アマゾンでの購入は下のバナーから。
corgiville (2012年8月22日 07:29)
ジョセフ・ケネディとローズには1915年の長男ジョセフ・ジュニアから1932年の四男エドワードまで9人の子供が生まれました。ケネディ大統領は9人兄弟の第2子で次男でした。
「二番ではダメだ。一番になれ!」
という父の教育方針の下で、女の子も含めてフットボールをするような賑やかで活発な兄弟姉妹でした。
4男5女で、ケネディ大統領には妹が5人いましたが、世間によく知られているのは三女ユーニス、四女パトリシア、五女ジーンでしょう。それというのも長女ローズメアリーは知的障害を持っていたため、人前に現れることはあまりなかったし、次女のキャサリンは早く亡くなってしまったからです。
青年期、年長の兄弟の中でジョセフとジョンとキャサリンは、強い絆で結ばれていたようです。よく知られているように体力があり優秀な兄と比べてジョンは体が弱く、当初は父親から兄ほどは期待されてはいませんでした。
父親は長男を大統領にしたかったのですが、1944年に戦死してしまったため、その役割が次男のジョンに回ってきたのです。
一方、キャサリンは1944年5月にビリー・ハーティントンと結婚するが、その夫もまた同年9月に戦死してしまうのでした。しかし、ハーティントン家がプロテスタントだったため、敬虔なカトリック信者の母ローズは気も狂わんばかりの状態になったといいます。
それから4年後の1948年5月、キャサリンは再婚しようと考えていたピーター・フィッツウィリアムと共に悪天候の中の無謀な飛行で墜落し、28歳の短い生涯を終えました。この結婚に対しても母ローズは相手がカトリック教徒以外で離婚経験があるという理由で猛烈に反対しました。
教会と家族に背いても自身の恋に殉じたキャサリンは明るいケネディ家の姉妹の中でもひときわチャーミングで誰からも愛されたようです。
彼女が亡くなったとき、ロンドンのタイムズ紙は彼女がいかに愛されたかを讃えた追悼文を掲載しました。二百人ものロンドンの友人が彼女の柩を見送ったのに対し、家族から参列したのは父ジョセフだけだったそうです。
corgiville (2012年8月20日 03:01)
1965年に「Years of Lightning Day of Drums」(監督ブルース・ハーセンゾーン)というケネディ大統領のドキュメンタリー映画が製作され、日本では「ケネディ大統領 稲妻の2年10ヶ月」という題名で、松竹で配給されています。
そのときの映画のポスターは、骨董市の映画のポスターばかりを売っているところで、偶然に出会いました。その後、映画のパンフレットと映画館で渡すようなペラ両面刷りのチラシも入手し、「稲妻3点」勢ぞろいになったのです。
3点とも「第3展示室」にアップしています。
corgiville (2012年8月19日 08:18)
「第4展示室」には、「ママと娘のきせかえごっこ」というタイトルでジャクリーンと娘のキャロラインのペーパー製の着せ替えをアップしています。
当時の女の子は小さい頃、紙の人形で着せ替えごっこをしたものです。人形も平面的な紙なら、洋服も紙で肩の部分に洋服の折しろを折り曲げてかけるだけなので動かすとすぐに落っこちたりするのですが、それでもとても楽しかったことを覚えています。
今の子どもたちは、こんなお遊びをするのでしょうか? 「第7展示室」にはおそろいのブルーのストライプの水着姿のジャッキーとキャロラインを載せたので、こちらは乗馬ファッションのジャッキーとキャロラインです。
corgiville (2012年8月16日 03:43)
この写真は、恵比寿ガーデンプレイスの地階にあるカフエ「PAPAS」のコーナーに飾ってあった写真額です。
私は、店の外から目に入ったこの写真に呼ばれるように店内に入り、予定外のお茶をすることになりました。
おそらく、ヴァッサー女子大時代のジャッキーでしょう。当時の若い女性らしいコテパーマのようなロングヘアー、ファーストレディ時代のように洗練されてはいませんが、意志の強そうな目の輝きはすでに後年の片鱗をうかがわせるものがあります。
若き日のジャッキーは「あっ!」と思ったほど、強烈なオーラで私を呼んでいました。
corgiville (2012年8月14日 23:59)
「第7展示室」には、一見してケネディともジャッキーとも関係ないモデルホースが展示されています。
この馬は名を「ブラック・ジャック」(奇しくもジャッキーの実父の愛称と同じ)といい、1963年11月25日のジョン・フィツジェラルド・ケネディの葬儀で「riderless horse(騎手のいない馬)」に選ばれました。
JFKが暗殺によって非業の死を遂げた直後、ジャッキーが考えたことは、夫の葬儀をアメリカの過去の英雄に匹敵する格式あるものにし、彼を伝説として人々の記憶に末永く焼き付けることでした。
彼女はリンカーンやルーズベルトの葬儀について調べさせ、徹底的なこだわりをみせ、葬儀は海軍が執り行ない、重厚なドラムの響きと共に参列者が行進し、埋葬はケネディ家ゆかりのハイアニスポートではなく、国立アーリントン墓地にすべきだと主張しました。
そして、フランクリン・ルーズベルト大統領の葬儀と同じように、柩は弾薬車に乗せて墓地まで運び、柩の後ろには騎手がおらず、逆さまに吊るされた鐙にブーツだけが載せられているというスタイルを踏襲したのです。
わずか三日間の間にこれだけの段取りを仕切った彼女の精神状態はある意味で高揚していたのでしょう。
モデルホースのブラック・ジャックに付いていたガイドブックには、ジャッキーが「ブラック・ジャック」を一目見るなり、その美しさ、つやのある毛並み、鍛えられた筋肉、額の部分に白い小さな星がある漆黒の体‥‥に印象ずけられたと書かれています。
corgiville (2012年8月11日 03:05)
ケネディ大統領の暗殺後、1963年12月6日にジャッキーは二人の子どもと共にホワイトハウスを去りました。
一旦、ジョージタウンNストリートのハリマン邸に仮住まいした後、ハリマン邸の向かいのNストリート3017番地のコロニアル様式の家を購入しました。
しかし、ジャッキー母子が住むその家は、またたくまにワシントンの観光名所になってしまったようです。物見高い人々は、好奇のまなざしで大統領の未亡人の暮らしを覗こうと、観光バスが何台も家の前を通り過ぎていきました。
こんな経緯もあって、ジャッキーは翌年にニューヨークに引っ越す決心をするのです。
私がジョージタウンを訪れたとき、この家をみつけるのにとても苦労しました。今の持ち主の手前、あまりあからさまに確かめるわけにもいきません。ただ、ジャッキーの写真集で、まさにこの階段をジョン・ジュニアの手を引いて上がっていく彼女の写真を見ていたので確信しました。
ここにいた当時の彼女は、精神的に人生のどん底─何もかも手にしたファーストレディの座から、悲劇的な出来事によって突き落とされた直後だったので、きっとこの家にも明るい思い出は何ひとつないことでしょう。
そんな背景を別にすれば、ジョージタウンの瀟洒な家並みの中でもひときわ素敵な家でした。
corgiville (2012年8月10日 09:28)
ニューヨークのセントラルパークはジャッキーと縁の深い公園でした。
まだ3,4歳の頃、赤ん坊だった妹のリーと乳母といっしょにセントラルパークを散歩していたジャッキーは、乳母とはぐれて、公園内をパトロールしていた警官に保護されたことがあります。
そのとき、彼女は毅然として、「ナニーと赤ちゃんが迷子になってしまったの」と言ったというエピソードが残っていて、幼少の頃からの気位の高さを想像させます。
ケネディ大統領の暗殺後、しばらくはワシントンにとどまったものの、1964年ニューヨークのアッパーウエスト五番街の高級アパートを購入してからは亡くなるまでそこを拠点としていました。
健康とそのスリムな体型の維持に熱心だった彼女は、よくセントラルパーク内をウォーキングしていました。
1994年5月、癌に侵されて手の施しようがなくなったとき、自宅に戻り、最期の散歩をしたのもセントラルパークだったそうです。ジャッキーは心の底からセントラルパークを愛していたのです。
彼女の死後、ジャッキーを記念して、公園内の貯水池は「Jacqueline Kennedy Onassis Reservior」と名づけられました。
セントラルパークのその池の前に立つと、スカーフを頭に巻いた彼女が、早足でそこを通り過ぎるような気がしました。
corgiville (2012年8月 9日 03:10)
「第11展示室」には、私以外のケネディマニアが集めたコレクションを展示しています。
まったく違う人のコレクションですが、偶然にも似たようなブルーのスタンプックに入れてありました。
コレクション1は、切手や封筒、写真などが、暗殺直後に販売されたと思われる専用のスタンプブックにスクラップされています。入手先はアメリカだったので、たぶんアメリカ人のコレクションだったものでしょう。
コレクション2は、200枚以上の切手のみのコレクションで、立川のショッピングセンターにあるコインショップで、バラで売っていたケネディの切手を買ったらお店の人が、
「他の店舗にケネディの切手ばかり集めたコレクションが確かあったはずなので、取り寄せましょうか?」
と言ってくれ、お願いしたものです。向こうは「マニア物」という意識はまったくなく、切手としての価値しかみないので、全部で3000円で売ってくれたと記憶しています。
コレクションの域に留めず、メダルやトークンの研究書にまとめたのが「第10展示室」に展示した「MEDALLIC PORTRAITS OF JOHN F. KENNEDY」という本です。1995年の12月にボストンのKennedy Libralyの売店で買いました。よく集めたと思うほどのケネディのコイン、メダル、トークンの写真、発行年やサイズ、その素材などが記載されています。
巻末にはそれぞれの価格相場の一覧表が付いていて、一番高く値がちうているものは750ドルで、ひとつが1963年ヨーロッパ訪問記念のゴールドのもの、もうひとつは表がケネディの顔、裏が葬儀のときの柩を運ぶ馬車と永遠の炎が彫られたものです。
私もたくさんのメダル類を集めましたが、残念ながらこの2点は持っていません。というより、この本を見るとたくさん集めてはいないことを改めて思い知らされました。
corgiville (2012年8月 5日 08:26)
「第7展示室」に歴代大統領のフィギュアを展示しています。アメリカの大統領はオバマで44代めですが、この歴代フィギュアはニクソン大統領のときに出たものと思われますので、その時点では37代で、そのうちの31人のものがあります。
それ以外に単独でケネディ大統領の同じ物を持っています。しかも着色前の白いものと着色後のものを手に入れました。
さらに、着色前のジャッキーも後からやってきました。コーヒーのデミタスカップほどの小さなものです。
着色前の二人はいずれ「第12展示室」にアップするつもりです。
corgiville (2012年8月 2日 08:38)
第4展示室には、ケネディ大統領のトランプ、ボードゲームや貯金箱など楽しいアイテムを展示しています。
トランプは何種類も出ているようですが、楽しいのは絵札のキャラクターをケネディ一族の似顔にしたもので、大統領存命中に発売されたものです。
外箱のタイトルも「Kenedy Kards」とCardsでなくKardsになっています。
ハート、ダイヤ、クラブ、スペードの絵札のそれぞれの配役はこうです。
ハートのキング ジョン・F・ケネディ
ハートのクイーン ジャクリーン・ケネディ
ハートのジャック ジョン・F・ケネディ
ダイヤのキング ロバート・F・ケネディ(JFKの弟)
ダイヤのクイーン エセル・ケネディ(ロバートの妻)
ダイヤのジャック ピーター・ローフォード(俳優、JFKの妹パトリシアの夫)
クラブのキング エドワード・M・ケネディ(JFKの下の弟)
クラブのクイーン ジョーン・ケネディ(エドワードの妻)
クラブのジャック リンドン・ジョンソン(副大統領)
スペードのキング ジョセフ・ケネディ (JFKの父)
スペードのクイーン ローズ・ケネディ(JFKの母)
スペードのジャック サージェント・シュライバー(JFKの妹ユーニスの夫)
並べるだけでこんなに楽しい「Kards」です。