JFKのチャーミングな妹
corgiville (2012年8月22日 07:29)
ジョセフ・ケネディとローズには1915年の長男ジョセフ・ジュニアから1932年の四男エドワードまで9人の子供が生まれました。ケネディ大統領は9人兄弟の第2子で次男でした。
「二番ではダメだ。一番になれ!」
という父の教育方針の下で、女の子も含めてフットボールをするような賑やかで活発な兄弟姉妹でした。
4男5女で、ケネディ大統領には妹が5人いましたが、世間によく知られているのは三女ユーニス、四女パトリシア、五女ジーンでしょう。それというのも長女ローズメアリーは知的障害を持っていたため、人前に現れることはあまりなかったし、次女のキャサリンは早く亡くなってしまったからです。
青年期、年長の兄弟の中でジョセフとジョンとキャサリンは、強い絆で結ばれていたようです。よく知られているように体力があり優秀な兄と比べてジョンは体が弱く、当初は父親から兄ほどは期待されてはいませんでした。
父親は長男を大統領にしたかったのですが、1944年に戦死してしまったため、その役割が次男のジョンに回ってきたのです。
一方、キャサリンは1944年5月にビリー・ハーティントンと結婚するが、その夫もまた同年9月に戦死してしまうのでした。しかし、ハーティントン家がプロテスタントだったため、敬虔なカトリック信者の母ローズは気も狂わんばかりの状態になったといいます。
それから4年後の1948年5月、キャサリンは再婚しようと考えていたピーター・フィッツウィリアムと共に悪天候の中の無謀な飛行で墜落し、28歳の短い生涯を終えました。この結婚に対しても母ローズは相手がカトリック教徒以外で離婚経験があるという理由で猛烈に反対しました。
教会と家族に背いても自身の恋に殉じたキャサリンは明るいケネディ家の姉妹の中でもひときわチャーミングで誰からも愛されたようです。
彼女が亡くなったとき、ロンドンのタイムズ紙は彼女がいかに愛されたかを讃えた追悼文を掲載しました。二百人ものロンドンの友人が彼女の柩を見送ったのに対し、家族から参列したのは父ジョセフだけだったそうです。