Corgiville Museum 紅木 美るのケネディ・コレクションCorgiville Museum 紅木 美るのケネディ・コレクション

2012年6月アーカイブ

セプテンバー・ソング

corgiville (2012年6月29日 00:35)

ケネディの海軍時代からの親友の一人だったポール・B・フェイが書いた「ケネディ」の終章が好きです。

それは、1961年11月の晩のシーンで、この夜、ケープコッドのケネディ家の別荘では、家族と親しい友人たちとのカクテルパーティが催されていました。

興に乗ってきた頃、皆は大統領の末弟エドワードの妻ジョーンのピアノの伴奏で歌いだしました。ひととおり歌うとみんなが大統領の歌を所望して、諦めませんでした。

そこで、ケネディが歌ったのが「セプテンバー・ソング」だったそうです。

♪ 5月から12月まで、

 長い、長いあいだがある

 けれど、日が短くなるとき、

 9月がくる‥‥

 ああ、月日はむかう

 貴重な残り少ない時にむかって、

 9月、11月!

 そして貴重な残り少ない日々よ、 

 わたしはあなたと過ごそう‥‥

 著者のポール・B・フェイは、

「すでにあれだけの業績を築いた、たぐいまれな人間が生きて人生の9月を見ることなく、青春の燃え上がる夏に死ぬことを、そのとき、私は知らなかったのである。」

と書いています。

自分自身の「残り少ない日々」を予感させる選曲だと思えてきてなりません。

欲しいものはすべて手に入れた男

corgiville (2012年6月27日 09:36)

よく言われるようにジャッキーの最初の夫は「権力で世界の頂点に立った男」で、二番目の夫は「富で世界の頂点に立った男」といえるでしょう。

再婚相手のアリストテレス・ソクラテス・オナシスはいまだに生まれた年さえ1906年説と1900年説があるほど謎めいています。

ケネディにはとても及ばないけれど、彼についての本やDVDも出ています。

「オナシスの生涯─欲しいものはすべて手に入れた男」は、彼の生い立ち、出稼ぎ労働者から巨万の富を築き、その最期までを描いた一種のおとぎ話だと感じました。

前妻のティナやマリア・カラス、二人の子どものアレクサンダーとクリスティーナについても詳しく言及されていて興味深い。ケネディ家に負けず劣らずオナシス家もドラマチックで、そこに愛憎と多くの謎とそして死が付きまとっています。

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ケネディの生家

corgiville (2012年6月24日 01:14)

ケネディ大統領は、1917年5月29日、ボストンのブルックラインで生まれました。彼の生家が今も残っています。

 

boston house.jpg写真は1995年の暮れに私が訪れたときのものです。淡いグリーンの可愛らしい家でした。残念ながら冬場は公開してないとのことで、中には入ることができませんでしたが、室内にはケネディが幼いころに使ったスプーンなどが展示されているようです。

次々に子宝に恵まれ、手段を選ばずに巨万の富を築いた大統領の父ジョセフは、じきにもっと大きい家に移り住み、この可愛い家はいったん人手に渡りました。

ケネディ暗殺後に再び買い戻し、いまは観光名所になっています。

ある特別な夏

corgiville (2012年6月23日 11:18)

ジャッキーは大学4年のとき、大学4年生を対象にした論文コンクールであるヴォーグ誌のパリ賞に応募し、見事に入賞しました。

入賞者には1年間を、「ヴォーク」のパリとニューヨークで6ヶ月ずつ実習生として働く資格が与えられるはずでした。しかし、継父のヒュー・オーチンクロスの反対で彼女はこの賞を事態することになったのです。

そのかわりとして、1951年の夏を妹のリーとともにヨーロッパで過ごしていいという条件つきの反対でした。

22歳のジャッキーと18歳のリーは、イギリス、フランス、イタリア、スペインを回り、旅の思い出を綴ったスクラップブックを作りました。ジャッキーは、詩と絵を、リーは文章を担当し、母親に贈りました。

そのスクラップブックは1974年にデコレートプレスから出版されました。

そして2006年にはRIZZOLI INTERNATIONAL PUBLICATIONS から改めて出版されています。

ジャッキーのイラストと乙女チックな丸文字が楽しく、若い日のジャッキー姉妹がしのばれる本です。

 

JFKの父子像

corgiville (2012年6月21日 20:14)

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世界中のいたるところで出会う「ケネディ」のご紹介です。 この写真は、アメリカニュージャージーの病院のロビーにあるケネディ大統領父子の白い像です。 父を見上げる幼いJFKジュニアとやさしく見守る大統領の様子がとてもほほえましく感じられます。 この画像は、ニュージャージー在住の高校時代の同級生S氏が送ってくださいました。

続きを読む: JFKの父子像

ケネディ存命中に出た本

corgiville (2012年6月19日 03:11)

和書・洋書を問わずケネディ大統領やケネディ家の人々について書かれた本は膨大な数にのぼるでしょう。私が読んだもの、所有しているものはその中のほんのわずかにすぎません。

ただ、割合として暗殺後に書かれたものの方が圧倒的に多いので、暗殺の前に書かれたものは、あの<非業の死>を割り引いたケネディ論になっているので、それだけでひとつの意味があると考えています。

私も古書で買った「異色のケネディ一家 兄の屍を乞えて」(団 真理子 著 新潮社)を読み返しています。1961年、ケネディ政権がスタートしたての頃に書かれているので、どこか希望に溢れています。

今は亡きジョン・F・ケネディ ジュニアもこの本の中では生まれたばかりの「ホワイトハウス・ベイビー」として登場しています。

ただ、数字的な間違いが多いのがちょっと気になりました。

肝心のケネディ大統領の誕生日1917年5月29日は3月29日となっています。巻末についている系図の中で妹と弟の生まれた年にも誤りがあります。

妹ローズマリー(1918年生まれ)が1919年生まれに、ロバート(1925年生まれ)は1926年に、エドワード(1932年生まれ)が1934年になっています。

天下の新潮社が50年前とはいえ、きちんと校閲しなかったのでしょうか。

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ジャッキーの詩才

corgiville (2012年6月18日 00:07)

ジャッキーは少女の頃から物を書くことが好きで、またたいへん筆まめだったようです。

新婚時代の1953年10月にスティーフン・ビンセント・ベネーの詩「ジョン・ブラウンの遺骸」を引用し、夫ジョンに捧げる詩を書きました。

ジョンはことのほか喜んで出版したいと申し出たそうですが、ジャッキーはこれは「ラブレターのような私的なもので他の人にみせるつもりはない」と断ったといいます。


マサチューセッツにありて
           ジャック・ケネディは夢想した

          (1953年10月  挙式後1ヶ月の頃)

マサチューセッツにありて
ジャック・ケネディは夢想した。

ケープ・コッドの浜辺をあるき
将来(ゆくさき)のおのが姿を夢想した。
ニューイングランドの 秋の息吹につつまれて
脳裏には輝かしい郊外をうかべる。
愛国者が誇らしく口にしたユンカード
レキシントンにバンカー・ヒル
プリマス、フェルマス、マートンズ・ヒル
ウィンズロップ、サレム、ローウェル、リベリー
クインシー、ケンブリッジ、
         ルイスバーグ・スクエア

これぞ夢をはぐくむ彼の遺産─若者が
         天にささやく大志の数々。
過去が手をのばし彼をつつみこもうとする
その感触をいとおしみつつ、彼はとまどう。
いまはまっとうすべきやくわりがあるからだ
天命であり、おのが欲求(のぞみ)でもある役割が。

彼はニューイングランドの産
頑強で、プリマス岩のごとくゆるがない
両足はしっかと大地を踏みしめる
だが心と夢は、天をかけめぐる。
ニューイングランドを わが祖国
         わが信条とよびながら
彼には 異国の血もまた流れている。
アイルランドの丘に向かって哄笑し
アイルランドのせせらぎに
        耳傾けた あの種族の
緑の国の軽快(かろやか)さを 血にみなぎらせ
タラ、キラーニーの 魔法の水を
あまりにも誇りたかい 心にたたえ
ニューイングランドの気風を
          がっしと 打ち込んだ
そんな彼を 人は
最後の騎士にさえ 見られなかった
思慮深い 真摯な、とよぶ。


彼はいま浜辺から ふりかえり
          わが家を 見た。
緑の芝生に立つ 白亜の館
砂上ひくく 草がなびき
わらいさんざめき 木陰にいこうは
弟たち、妹たち。
やがて 灯がともり 夕餉(ゆうげ)のベル鳴り
王なる父の待つ 家に戻る時が来る。けれどいま彼は 風と海と
将来(ゆくさき)のおのが姿と ともに 立つ。


やがて 王国を 築き
息子たちを もつだろう。
本流の流れるところに
人々は よりつどうだろう。
そこに 愛を見出すとも
安らぎは ないはずだ。
金の羊毛を 見つけるまで
前進しなくてはならないのだから。
将来(ゆくさき)の彼の姿が
風と海の中に 浮かんでいる

GREY GARDENS

corgiville (2012年6月16日 01:03)

一族の中で有名人や大金持ちが出現すると、その正反対の状況にある親族がいた場合にそれがクローズアップされ、「いい生活をしている側」が非難の対象になるというのは、ある種の世の常といえるかもしれません。

世界的な有名人となり、大富豪と再婚したジャッキーにもそのような親族がいました。実父ブラック・ジャックの妹のイーディス・ビールとその娘でオールドミスのリトル・イーディの母子です。

1971年当時、母子が暮らす海辺の家「グレイ・ガーデンズ」は荒れ果て、28室もある部屋はクモの巣だらけ、たくさんのアライグマと猫が共生していたためその糞便にまみれていました。そんなスーパーゴミ屋敷の中で、朽ちたプリンセスのごとき誇りだけはすてずに暮らしていました。

郡の保健所の調査で、「とうてい人間の住む状態ではない」と言われ、修復しないと没収するしかないと判断されたのです。

イーディスにはニューヨークで弁護士をしている立派な息子がいたにもかかわらず、彼が援助をこばむと、矛先はオナシス夫人、ジャッキーに向かい、新聞に報道されてしまいました。

救いの手を伸べたのはオナシスで、家を修復し、立ち退きから救ってあげました。

不思議なもので、にも拘らずリトル・イーディはジャッキーの悪口しか言いませんでした。「弱者」という錦の御旗を持ったものの強さでしょうか。

この母子のドキュメンタリー「GREY GARDENS」はDVDになっていますし、日本では何年か前に舞台で上演されました。イーディス・ビールが草笛光子、リトル・イーディが大竹しのぶで、リトル・イーディの独特のファッションに身を包んだ大竹しのぶが好演でした。

 

 

 

なぜ、こんなに似ていない?

corgiville (2012年6月14日 11:29)

第12展示室」に展示しているケネディ夫妻の人形で、大統領就任記念のドレスを着たジャッキーがまったく似ていないのに驚いたものがあります。

似ていないどころか不細工で怖い顔に作ってあり、髪の毛も不自然なかつらをつけたようにどこかおかしいのです。もし、ジャッキーご本人がこれをみたらさぞかし心外だったことでしょう。ケネディ大統領の方はそれなりに似ていて、むしろちょっと若く甘い顔にしてあるのでなおさら不思議です。

フランクリンミントのそっくりなジャッキーの人形と比べると天と地との差があります。

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アンディー・ウォーホルのジャッキー

corgiville (2012年6月13日 08:46)

20世紀を代表するポップアーティスト、アンディー・ウォーホル(1928~1987)は、シルクスクリーンの手法でたくさんの有名人の肖像を残しています。

ジャッキーも彼に描かれた人物の一人です。ウォーホル描くジャッキーの顔は紙袋やバックなどたくさんの商品のモチーフとして使われています。

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野外ロケ

corgiville (2012年6月11日 08:33)

このサイトの展示室にアップしているコレクションの写真は、ホームページのためにわざわざ撮ったものは少なく品物を手にいれたそれぞれの時期に撮影しているものをそのまま使っています。

アイテム数があまりにも多くて撮影し直すには膨大な手間がかかってしまうからです。いつか機会があればプロのカメラマンにもっと質のよい写真を撮ってほしいと思っているのですが‥‥

ジャッキーの乗馬服姿の人形がやっと手に入ったときは、少し凝った写真をとりました。「第9展示室」にアップしている写真以外に「野外ロケ」(笑)をしたのです。野外といっても自宅近くのビルの植栽の前ですが。

フランクリンミントの人形とまったく関係ない馬の人形で、ジャッキーの乗馬シーンを演出してみました。

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パリのケネディアベニュー

corgiville (2012年6月10日 11:20)

ケネディ大統領の暗殺後、彼の非業の死を痛み、業績を讃える意味で、アメリカはもとより、世界の各国でケネディの名を冠した場所が誕生しました。

筆頭はニューヨークのジョン・F・ケネディ空港(旧アイドルワイルド空港)

ダラスのジョン・F・ケネディプラザ(広場)

ベルリンのケネディプラツ(広場)

ローマのケネディコルソー(大通り)

パリのケネディアベニュー(街)

私が昨年パリを訪れたときに撮影した「AVENUE DU PRESIDENT KENNEDY」の標識です。

その始まりと終わりの二ヶ所につけられていました。エッフェル塔の北側、ダイアナ妃終焉の地のすぐ近くです。

 

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ケネディ家の嫁

corgiville (2012年6月10日 00:12)

JFKの妻ジャッキー、弟ロバートの妻エセル、同じくエドワードの妻ジョーンについて書かれた本です。

それぞれ異なる性格と個性を持った三人の嫁たちですが、あのケネディ家の一員になってしまったということで、彼女たちの人生が好むと好まざるとにかかわらず、大きな渦に巻き込まれたという共通項は大きいものがあると思われます。

1928年生まれのエセルと1936年生まれのジョーンはまだ健在で、キャメッロト時代のケネディ家を記憶する数少ない生き証人になってしまいました。

 

ジャッキーのオークション アフターセールレポート

corgiville (2012年6月 8日 11:13)

1996年4月23日から26日の4日間にわたってサザビーズ・ニューヨークで開催されたジャクリーン・ケネディ・オナシスのオークションのオークションの「AFTER SALE REPORT」がとってあります。

それによると参加者のべ4万人、書面入札12万5千件、落札総額は予想をはるかに上回る3445万7470ドル(当時のレートで約36億5000万円)でした。落札率100%。

落札価格の第1位はオナシスがジャッキーに贈った40.42カラットのダイヤモンドで258万7500ドル(約2億7400万円)でした。

10万部の限定販売のオークションカタログもほぼ完売し、サザビーズ史上最高の売上げ部数となりました。

落札価格の2位から5位は以下の通りです。

2位 1963年にケネディ大統領が部分的核実験停止条約に署名した歳に使用した机143万2500ドル

3位 ケネディ大統領愛用のイニシャル入りゴルフクラブセット 77万25000ドル

4位 葉巻き入れ(コメディアンのミルトン・パールが大統領に贈ったもの) 57万4500ドル

5位 ケネディ大統領がホワイトハウスで愛用したロッキング・チェア 45万3500ドル

 

JFKジュニアのケンタウロス

corgiville (2012年6月 6日 09:01)

ジャッキーは夫の功績を神話のように後世に残すことを望み、ケネディ政権の時代は「キャメロット」と呼ばれるようになりました。

ケネディ一族の過激でドラマチックで野心や欲望が渦巻き、好色な男たちと個性豊かな美女たちが織り成す人間くさい物語はどこかギリシア神話に登場する神々を連想させるところがあります。

この刺繍はギリシア神話に登場する半人半馬のケンタウロスになったケネディ一族一番の美男子JFK ジュニアです。できばえがいまひとつ満足しなかったので、いつか作り直したいと思っているのですが‥‥

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サザビーズ オークションカタログ

corgiville (2012年6月 4日 12:21)

昨日の記事の写真にある1996年のジャッキーの遺品オークションのカタログですが、カラー刷り584ページのずっしりとしたものです。

所有物から見たジャッキーの歴史ともいえるでしょう。何回見ても飽きることがありません。出品された品々とその解説ももちろんですが、ところどころに挿入された、彼女のニューーヨークの高級アパートの室内写真が、ジャッキーという人をぐっと身近に感じさせます。

オークションカタログは並製本と上製本の二種類あって、私は1万円ぐらいした上製本の方を求めたのですが正解だったと思っています。

カタログと一緒にサザビーズ・ジャパンによる「注目の作品」を上げたプリントが挟まっていたのですが、その中には件の三連パールのネックレスやオナシスから贈られた40.42カラットのダイヤモンドなど12の品物が挙げられています。機会があれば、詳しく書いてみようと思っていますが、40.42カラットのダイヤはオークションにかけられた1195アイテム中、最高の258万7500ドルで落札されました。

 

 

三連パールのネックレス

corgiville (2012年6月 3日 07:04)

lジャッキーはたくさんの宝石類を持っていましたが、ファーストレディ時代はよく三連になったパールのネックレスをノースリーブのワンピースに合わせてつけていました。

実はこのネックレスはイミテーションパールだったそうですが、彼女の死から2年後の1996年にサザビーズのオークションにかけられ、21万1500ドルという破格の値で落札されました。

この「Simulated Peal Necklace」を落札したのがフランクリンミント社でした。同社は、落札後その複製を作って販売し、私もその複製をひとつ買いました。

 

ex0913.jpg第9展示室にもアップした上の写真は、広辞苑のように分厚いそのときのオークションカタログのパールのネックレスのページと私が買った複製ネックレスです。

商品の左ページにはそのネックレスをつけて幼いジョン ジュニアを抱っこするジャッキーの写真が掲載されています。ジョン ジュニアは無邪気に母のネックレスを引っ張って遊んでおり、ジャッキーも嬉しそうに首をのけぞらせています。

フランクリンミントはこの母子の微笑ましいワンシーンを「Strands of love」というタイトルのブロンズ像にして販売しました。それも「第9展示室」に展示しました。

 

フランクリンミントの人形等

corgiville (2012年6月 2日 11:08)

フランクリンミント は、アメリカのフィラデルフィアに本社を置き、世界各地に現地法人を持つ国際的企業です。  
 企画、開発する商品は美術工芸品、メダルやコイン、切手などの収集品、宝飾ジュエリーや時計、室内装飾品や陶磁器、精密ダイカストモデルカーなど多岐に渡っており、 暮らしに潤いを与えてくれる趣味収集品を提供しています。

当ミュージアムの展示品の中にはフランクリンミントで購入した商品も多くあります。ライター、アクセサリー、人形などです。

とりわけ、ジャッキーの人形については、たいへん精巧で本人に似ていることで他の追従を許さないと思います。

同社が販売しているジャッキーの人形のすべてを持っているわけではありませんが、セラミックドール、ビニールの着せ替えドール、ブロンズ像はどれもたいへん満足しています。

第9展示室」に展示したジャッキーの人形をぜひご覧ください。

残念なことに、最近はカタログが送られてこなくなってしまい、冊子で新製品の情報を見ることができなくなってしまいました。

ケネディ家、イカロスの因縁

corgiville (2012年6月 1日 11:35)

ケネディ大統領とジャッキーの長男であるジョン・F・ケネディ ジュニアは1999年の7月16日、自家用機をを操縦して従妹の結婚式に向かう途中、飛行機は墜落して彼と妻のキャロリン、キャロリンの姉の三人が帰らぬ人となりました。

ジュニアは飛行機の免許を以前から取りたがっていたのですが、ジャッキーが生きているときは猛反対され、何だかんだいっても母には絶対服従だった彼はそれに従ったのです。

母の死は彼にある種の自由を与え、彼は飛行機の免許を取り、自家用機を操縦するようになりました。事故当日もかなり困難な状況の中で飛行を決行しての惨事だったそうです。

彼の無謀な墜落死はギリシア神話のイカロスにたてられました。あの太陽に向かって飛び翼が解けて墜落してしまったお話の主人公です。

ケネディ家の人間には、飛べることが嬉しくて羽目をはずしたイカロスに似たDNAがあるように思います。

1944年、ケネディ大統領の兄ジョセフ・ケネディ・ジュニアは戦争中に、手柄をたてた弟に負けまいと戦闘機に乗り込み29歳で墜落死をしています。

1948年、ケネディ大統領の妹キャサリンは、最初の夫の戦死の後、付き合っていた男性と共に悪天候の中を無謀な飛行で命を落としました。28歳でした。

1964年、ケネディ大統領暗殺の翌年、末弟のエドワードが乗ったチャーター機が墜落し、エドワードは大怪我をし、九死に一生を得ています。

そして、ケネディ家の人間ではありませんが、1973年、ジャッキーが再婚したオナシスの長男アレクサンダーも自家用機の墜落事故で24歳の若さで亡くなっています。

ケネディ大統領の弟ロバートの妻エセルの両親も飛行機墜落事故で亡くなりました。

何だかイカロスの因縁を感じさせる一族だと思います。

 

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