2013年1月アーカイブ
corgiville (2013年1月27日 11:26)
私が、別のブログに書いた占星術の記事です。
ケネディ兄弟の母ローズ・ケネディのホロスコープをリーディングしたものです。
♪♪ローズ・ケネディは1890年7月22日にボストンで生まれ、1995年1月22日に亡くなった。
自身は104歳の長寿を全うしたが、息子三人、娘一人、婿二人、嫁一人、孫一人に先立たれている。一度でもつらい逆縁を実の子どもで4度も経験した母である。
父はボストン市長、夫は26歳で銀行の頭取になりその後、天才的な手腕で巨万の富を築き、英国大使も経験した。四男五女に恵まれ、長女は障害を持っていたが、他の子ども達は皆美しく賢くスポーツ好きな家系でもあった。
次男は大統領、三男・四男も上院議員になったが、その一方で、長男ジョーの戦死、次女キャスリーンの墜落死、次男ジョンと三男ロバートを共に暗殺で失う。
ローズ・ケネディはどんなホロスコープの持ち主だったのだろうか。
★ローズ・ケネディ 1890年7月22日 19:00 ボストン生まれ
太陽は獅子座00度。7月22日という日は、蟹座と獅子座のボーダーラインで、生まれ年によってサインが違ってくるのだが、ローズはまさに獅子座イングレス時の生まれだった。
月は天秤座の05度。アセンダントは山羊座、MC蠍座である。
ローズのチャートの中で顕著なのが月(妻として、母として)を頂点とする2つの三角形の複合アスペクト(グランドトライン、小三角)と、金星(一人の女性として)を頂点とするTスクエアの複合アスペクトだ。
上の図中に実に9天体が関与することになる。
グランドトラインに太陽が加わってカイトになるので、彼女の妻としての顔はお金には困らず、健康にも恵まれ、人も羨むような家族である。
土星とコンジャンクションの金星を頂点とするTスクエアは、夫の女性関係、性を汚らわしいものと考える彼女の一面などを象徴している。
ここに登場していない天王星も太陽・水星とスクエアで、いずれにしてもローズの運命が織り成す多彩な動きがここに表れている。
ローズのホロスコープパターンは双子座6度の海王星から射手座0度の火星まで180度の半球に9天体があり、水瓶座8度の木星だけが離れたバケットパターンになっている。この場合の木星はたいへん重要な意味を持つ。
木星にはさまざまな象意があるが、ローズにとっての木星について、私は迷うことなく「宗教」を挙げたい。彼女は、敬虔なカトリック信者だった。
ローズにとって宗教(木星)はいつも自分と向き合うもの(オポジション太陽)、祈ることは習慣になっている(トライン月)、聖書とともに(オポジション水星)、愛することも神の許しがいる(クインカンクス金星)、神によって救われる(トライン海王星)、たとえ死んでも復活がある(トライン冥王星)......
ロバート・ケネディ暗殺、夫ジョー病死後に出版されたローズの本「わが子ケネディ」の最後は、「復活」
を信じるローズの祈りの言葉で終わっている。
『夫と三人の息子が甦って来て二度と分かれることのないことを私は神に祈る...』と。
図の下の部分に「逆縁」のときのトランジット天体の動きを示してみた。長男ジョー、次女キャスリーン、次男ジョン、三男ロバートに共通してドラゴンヘッドと火星のコンタクトがみられる。
ロバートの時がコンジャンクション、他の三人はオポジションで、4人は飛行機の墜落と暗殺で命を落としていて病死は一人もいないので、事故を象徴する火星が絡むのだろうか。
最後になるが、彼女の10天体のエレメントは火3:地2:風5:水0。水がひとつもない。「ケネディ家の人間は泣かない」といわれたようにローズもわが子の死に人前で涙は見せなかった。
でも母親なら、人知れずたくさんの涙を流したはずである。涸れた涙を象徴するような水のエレメント0だと感じた。
corgiville (2013年1月24日 01:12)
ジャッキーに惹かれる人間の思いを代弁してくれるような文章だと感じたのは、「NEWS WEEK 日本版」1994年6月1号の彼女の追悼特集に寄稿されたSarah Crichtonのコラムでした。
タイトルは「さようならアイドル」。全文に同感なのだが、一部を抜粋してみたいと思います。
♪今の時代におとぎ話が存在する余地はない。その上、現代の女性に期待されるものはあまりに 多く、すべての女性たちの夢を体現するような人物はもう望めないかもしれない。
だが、私たちがジャッキーと恋に落ちた時代は、今よりもずっとシンプルだった。私たちがお姫様になる日を夢見ていたころ、彼女はまさにお姫様だった。大人になった私たちが自立をめざしていたとき、ジャッキーはすでに自立していた。
彼女はいつも、一歩先をいっていた。良き母あるいは良き妻であること、いつも美しくあること常に「関心を集め続ける」こと──私たち普通の女が格闘しているあらゆることを、ジャッキーはやすやすとこなしているように思えた。
涼やかな鎖骨と、エレガントで美しい腕をしていたジャッキー。彼女はその腕で赤ん坊をあやし、男たちとダンスを踊り、大きな動物を手なずけた。たいていの女は自分の肌に不満だったが、ジャッキーの肌は内側から輝いていた。
.........
♪芸能カメラマンが群がろうと、彼女はその間を平然とかきわけて歩いた。ニューヨークっ子にどんな陰口をたたかれても、生き生きした「面白い人生」を追い求め続けた。
.........
♪働いて正当な報酬を得るのに謝ったりしなかったし、過去を弁解することもなかった。交際相手が既婚の男性でも、平然と腕を組んで出かけた。気がむけばカメラマンにほほ笑みさえした。
.........
私がジャッキーを尊敬する点は「過去を弁解することもしなかった」というところです。
世界中の非難を浴びたオナシスとの再婚や破綻をみせたその結婚生活、そしてオナシスの遺産をめぐっての義理の娘クリスティーナとの争い。
ジャッキーほどの人物なら、後に自叙伝でも出版して、いくらでも自分の都合いいような話だって書けたはずです。自伝出版の誘いだってかなりあったでしょう。
でも、結局、亡くなるまで彼女は自分のことを自ら語ることはしませんでした。
たいして大物でもない芸能人や、スポーツ選手の親が周囲に勧められたとはいえ、すぐに手記を出版したりする安っぽさとは、比べ物になりません。
corgiville (2013年1月20日 06:09)
恵比寿三越のB1階にある「papas cafe」に行きました。
ジャッキーの写真額がまだ飾ってありました。そんなにたびたび行くわけではありませんが、このコーナーの席を秘かに私の指定席と決めています。
corgiville (2013年1月16日 04:51)
ずっと前からあるのにミュージアムのコレクションとして考えたことがなかったのが、このテーブルです。
花を飾るのにちょうどいいサイズなのでリビングに置いて、花やパワーストーンの原石を飾ったりしていました。
テーブルトップは、ジャッキーの顔写真になっています。
表面に引っ掻いたような傷がついてしまいましたが、今回、「第9展示室」にアップしました。
corgiville (2013年1月13日 06:21)
ジャッキーが14歳のときに、母のジャネットがヒューディー・オーチンクロスと再婚し、1945年に異父妹にあたるジャネット・ジュニアが生まれました。
16歳だったジャッキーはそのときにも妹の誕生を祝う詩を書いています。
Listen,my children,and you shall hear,
It was nineteen hundred and forty-five
When Janet Jennings became alive.
She made all the headlines far and near
And became the Baby of the year!
Crowds to do her homage came,
Bringing priceless gifts and rare.
The flower shops all had a boom
And Western Union tore its hair.
ジャッキーは、「became alive」と謳った異父妹を39年後に見送ることになります。1984年癌に侵されたジャネット・ジュニアをジャッキーはそれは献身的に看病したそうです。
corgiville (2013年1月 6日 00:42)
新年になると、日本では日頃信心深くない人もこぞって神社に初詣にいきます。
アメリカには「初詣」という習慣はないものの、敬虔なクリスチャンであれば、日曜日ごとに教会の礼拝に参列します。ケネディ大統領は、初のカトリック教徒の大統領で、母ローズは敬虔なカトリック信者だったことで有名です。
あちらこちらで見かけるケネディ一家の写真のひとつにパームビーチの教会から出てきたものがあります。1963年4月19日の日曜日の、何とも平和なひとコマです。
この写真をモチーフにした絵皿を「第5展示室」にアップしてしていますが、その後おそろいのピッチヤーも入手しました。
また、ニューポートの「St. Mary's Church」(セント・メリー教会)は、1953年9月12日にケネディとジャッキーが結婚式を挙げた教会ですが、ニューポート滞在時は、この教会のミサに参加していたようです。
1995年に私が訪問したときに、セント・メリー教会参拝時のケネディの指定席(SEAT NO.10)に腰掛けて撮影したものです。
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