2012年9月アーカイブ
corgiville (2012年9月28日 10:57)
当WEBミュージアムの企画展「刺繍で綴るジャクリーン・ケネディの一生」をアップすることができました。
刺繍の方はもう完成していたのですが、パソコンの作業が、なかなかうまくいかず、息子の力を借りることになりました。
作品も100%満足しているわけではないので、私のライフワークとして今後も作り続けるつもりです。
corgiville (2012年9月23日 09:46)
ケネディ大統領の暗殺は、日本とアメリカの間で衛星中継ができるようになったまさにその日に起きたため、日本中にも大きな衝撃を与えました。
子ども向けの雑誌にもケネディ大統領や未亡人になったジャッキーのエピソードがたくさん紹介されました。
少女雑誌「なかよし」の昭和40年5月号の付録にもジャクリーン夫人を主人公にした漫画が付いています。
「第9展示室」にアップしました。
裏表紙にはケネディの切手が当たる懸賞があり、その懸賞の問題は、
「ケネディ一家の子どもの名まえは、だれとだれでしょう?」というものでした。
corgiville (2012年9月17日 00:53)
ケネディ50セントコインは、暗殺の翌年1964年に故人の業績を讃えて発行されました。
1964年のものだけが「品位900銀」─銀90%で製造されています。
1965年から1970年にかけては銀40%、1971年以降は銀とニッケルの合金製で、流通用ではなく収集用として作られています。
1976年が例外で、鋳造された5億枚のうち1100万枚が40%銀とのことです。
1964年発行のコインは、数あるケネディコインの中では独自の価値があるものです。フランクリン・ミントでは保証書つきで発売されました。購入は一人1点限りという条件つきでした。
corgiville (2012年9月16日 03:11)
「1999年の7の月、天から恐ろしい王がやって来て‥‥」
は、「ノストラダムスの大予言」の中で衝撃的な一節で、それ以前にはその年で地球が終わるなどと大騒ぎしたことがありました。
その1999年7月16日、ニュージャージー州エセックス郡の空港を日没直後に飛び立った自家用機が消息を絶ちました。その日は熟練されたプロのパイロットでも飛行を取りやめるような靄のため視界不良の日でした。
操縦していたのは、その前年に免許を取ったばかりのケネディ大統領とジャッキーの息子、ジョン・F・・ケネディ ジュニアで、彼の妻キャロリンとその姉も同乗していたのです。
ジョンら3人の遺体が発見されたのは3日後の7月19日のことだった。この事件は、時を越えて「ケネディ一族の無謀さ」を物語っています。
戦争中に手柄を立てたくて無茶な飛行に挑んだ彼の叔父のジョセフ ジュニア。
恋人とともに嵐の中の飛行で墜落死した彼の叔母のキャサリン。
1988年に「世界一セクシーな男」に選ばれたこともあるジョンは、ハンサムなだけでなくとても魅力的な青年となり、多くの女優と浮名を流すようになりました。
1996年にカルバン・クラインの広報に勤めていたキャロリンと結婚し、美男美女のカップルとしてアメリカ中の関心を集めました。
彼はニューヨークの中では倉庫街の面影を残すトライベッカに住み、自転車で通勤するなど、独自のライフスタイルを楽しんでもいたようです。
ニューヨークに行ったとき、JFKジュニアの住んでいた場所もぜひ見たいと思って、あまり情報がなかったのだが、やっとその建物をみつけ、トライベッカに行ってみました。
街の雰囲気は、もと工業地帯だけにちょっと寂れた独特の風合いを持っています。。彼はこの建物のロフトに暮らしていました。
ちなみに、トライベッカとはトライアングル・ビロウ・キャナル(Triangle Below Canal)の略だそうです。
corgiville (2012年9月 3日 05:49)
「第4展示室」に展示している「ボードゲーム」は、アンティークショップでみつけたもので箱の中にはボードとカテゴリーカードとさいころが2個、そして金券が入っています。ただし、完品ではなく、遊び方もいまひとつわかりません。
でも、圧巻なのは外箱に描かれたケネディ一族のラッシュモア山です。
サウスダコダ州にあるラッシュモア山国立公園の山肌には14年かけて彫られたワシントン、ジェファーソン、セオドア・ルーズベルト、リンカーンの彫像がありますが、それになぞらえて、ケネディ大統領三兄弟とジャッキー、キャロライン、ジョンの顔になっています。
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