ジャッキーの悲しみの8月
corgiville (2014年8月20日 11:02)
気がつけば8月ももう、三分の二が過ぎていました。
8月という月はジャクリーン・ケネディにとって悲しい思い出のある月です。
1956年、流産を経て再び妊娠したジャッキーは、妊娠中の体にもかかわらず副大統領選挙に立候補した夫ジョン・F・ケネディの選挙運動に貢献していました。
夫は副大統領には指名されず、敗北。そのウサばらしに彼は弟のテッドや他の友人たちとのクルージングに出かけてしまいました。
ジャッキーの出産予定は10月だったので、身重の妻を残すことへの罪悪感はそれほどなかったのかもしれません。
ところが1956年8月23日、突然産気づいたジャッキーは、母ジャネットの運転で病院に駆けつけたもの女の子を死産してしまいます。
その女児にはアナベラという名前がつけられて、アーリントン墓地に両親と共に眠っています。
翌年の8月3日には、ジャッキーのたぶん「初恋の男性」で、その後の彼女の男性観に大きな影響を与えた実父ブラック・ジャックが肝臓癌で亡くなります。
その後、二人の子どもに恵まれ、ファーストレディとして、世界中の注目を集めだしたジャッキーに1963年8月、新たな悲しみが襲ってきました。
キャロライン、ジョンに続く第3子を妊娠中だったジャッキーは8月7日に急に産気づき、次男パトリックを早産しました。
しかし、パトリックはヒアリン膜症という病気のためわずか3日しかいきることができませんでした。
パトリックもまた、姉のアナベラと同様にアーリントン墓地で両親と一緒に眠っているのです。