2013年8月アーカイブ
アイルランドでは
corgiville (2013年8月27日 20:47)
また、特派員便りです。
ケネディ一族のルーツでもあるアイルランドでも今年は暗殺50周年を記念して多彩な催しが行なわれているようです。
実は11月中旬にロンドンに行く予定があり、できればアイルランドにも足を伸ばそうと考えていたのですが、スケジュールがちょっと合わず残念です。
特派員便り─Runny mede
corgiville (2013年8月21日 21:39)
「Corgiville Museum」の特派員(笑)便りです。
ロンドン在住の娘が、友人と一緒にイギリス南東部にあるRunny medeを訪れたそうです。
Runny medeは、1215年に当時のジョン王がマグナカルタに署名した地として知られていますが、ここはまた、ジョン・F・ケネディ大統領にもちなんだ場所です。
ケネディ暗殺後の1965年にここにジョン・F・ケネディ記念碑が立てられ、同年5月の落成式にジャッキーは、キャロラインとジョン、ロバート・エドワードの二人の義弟と共に出席しています。
記念碑には、このゆるやかな50段の石段を登っていくそうです。
これが、記念碑です。
誰が手向けたのか赤いバラの花束が...
デビッド・ハイマン「ジャッキーという名の女」には、落成式のときの様子がこのように書かれています。
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エリザベス女王の臨席を仰いでの式の席上、ジャクリーン・ケネディは,夫の功績を讃える演説がつぎつぎなされるたびに、あふれる涙を抑えることができなかった。ジャッキーは式典のアトジョンソン大統領に書簡を送り、次のように述べた。《あまりにも心揺さぶられる辛い一日でした。失ったものをあらためていやというほど思い出すことになりました。》
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メダルの裏側
corgiville (2013年8月14日 22:31)
ジャッキーのメダルです。
同じシリーズのケネディ大統領のメダルといっしょに、ワシントンのアーリントン墓地の売店で買い求めたものです。
先日、改めてこのメダルの裏側をよーく見ました。
裏面には、ジャッキーの比較的晩年の顔と、ケネディ大統領の葬儀の悲しみに打ちひしがれたジャッキー母子のシーンと、ファーストファミリー時代の家族4人が仲良く寄り添うシーンが掘られています。
家族だんらんのこのシーンは、ハイアニスポートの別荘のテラスの柵に腰掛けた幸せそうな写真からとったもので、私もこの一家の写真が大好きでした。
自作「刺繍で綴るジャクリーン・ケネディの一生」の中のワンシーンに個の場面を刺繍しました。
ニュースで英会話
corgiville (2013年8月 9日 13:56)
NHK教育テレビ「ニュースで英会話」─キャロライン・ケネディ駐日大使へ を見ました。
「駐日大使に任命された」は英語で「Nominated Ambassador to JAPAN」と表現するそうです。
写真の女性は、その昔、同時通訳として活躍し、現在はどこかの大学の先生の鳥飼玖美子さん。
そして、この人の映像も。
新しいアイディア
corgiville (2013年8月 8日 09:32)
ジャッキーが描いた絵です。
上は10歳ぐらいのとき、自作の詩に書き添えたイラスト。
次の絵はいつごろかハッキリしませんが、プールから上がったばかりの水もしたたるケネディを取り囲むマスコミ(?)
ジャッキーは、こういう軽いタッチの絵をたくさん描いています。
これを見ていたらあるアイディアが浮かんできました。
Kennedy Bank
corgiville (2013年8月 5日 06:18)
アイテムになったケネディ大統領は数多くありますが、貯金箱もたくさんあるようです。
第1展示室と第4展示室にアップしているものを並べてみました。
胸像型の貯金箱は鍵が残っています。右の円形シルバーの貯金箱は横顔バージョンのものもあります。
異色なのが、真ん中のブルーにメダルがついた球形の小さな貯金箱で、ブルーのプラスチック部分に安田信託銀行と文字が浮き彫りにされているので、安田信託銀行で配った景品だったのでしょう。
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