アカプルコ
corgiville (2013年3月11日 06:15)
64年の生涯を通じてジャッキーは世界中のいろいろなところへ旅をしました。
学生時代のパリ留学に始まり、妹リーとのひと夏のヨーロッパ旅行、ファーストレディ時代も夫とともに外遊をしては、年配の各国首脳や大臣の心を掴むのが得意でした。
彼女にとって特別な場所はたくさんあるに違いありませんが、アカプルコもそのひとつといっていいでしょう。
1953年9月12日に結婚式をあげたジョン・フィツジェラルド・ケネディとジャクリーン・リー・ブービエのハネムーンの行き先はメキシコのアカプルコでした。
その何年か前に母のジャネットと継父ヒューディー・オーチンクロスと共にアカプルコ旅をしたときに見た家が彼女の心にとまり、新婚旅行でぜひアカプルコに行きたいと憧れを抱いていました。
ジャッキーの心を射止めた家は、赤土の崖を青緑色の太平洋からジグザグによじ登るような形に立てられたピンク色の家でした。それは、メキシコのドン・ミゲール・アレマン大統領(在任1946~1952)の別荘だったのです。
JFKの父、ジョセフとアレマン大統領が旧知の間柄だった関係で、ジョセフの計らいで、ハネムーンの間、好きなだけそのピンクの別荘に滞在していいといわれたのでした。
ジャッキーにとっては、ジョンと二人だけでおとぎ話のようなピンクの家で過ごした夢のような数週間だったのです。その後の、ケネディ一族と政治という怒涛のような日々とはあまりに対照的な...。
ジョンが上院議員として時期大統領をめざしていた頃、民主党の実力者が集まる集会に同席したジャッキーは、
「次の1960年の民主党大会をどこでやるのがいいか」
という話になったときに、急に意見を求められました。
彼女は、深く考えず、とっさに「アカプルコ」と答え、そこにいた人たちは冗談だと思い皆笑ったそうです。
JFKの暗殺後、失意のジャッキーはアカプルコを旅しています。思い出の地は逆に彼女の心を悲しませる結果となってしまいました。
再婚したオナシスとの生活に綻びが見え、それが修復しようもなくなっていた1974年の新年、すでに体調も悪くなっていたオナシスを誘ってジャッキーはアカプルコへ行きます。
その帰路の飛行機の中で二人は大喧嘩になってしまいます。
ジャッキーが「アカプルコに家を買いたい」と口にしたことが発端でした。浪費三昧の妻を罵るオナシスと夫の財力を「いまいましい金」扱いするジャッキー。
オナシスはこの機内で遺言書を書き直したといわれています。
ずっと後に、ジャッキーはマーサズ・ビンヤードにセカンドハウスを建てますが、そこではやってくる鳥たちにえさを撒いたりして、おとぎ話のような暮らしを満喫しました。
彼女の実人生も、おとぎ話の住人だったといえなくもありません。晩年の彼女は自分の暮らしをおとぎ話のように創造しようとしていた気がします。
その原点が、ジョンとのハネムーン、アカプルコの海を見下ろすピンクの家だったのではないでしょうか。